伝えたいこと。

現在、2週間の予定で岩手のとある災害ボランティアセンターでボランティアコーディネーターをしています。

ニーズのあがった要請を現地に視察に行ったり、依頼者からの話を聞いたり。
その他、諸々のボランティアをサポートしたりしています。

海に近い地域は大きな建物の変わり果てた姿以外は本当に何もない状態。
ボランティアの数も減り、みんなの記憶からも段々風化がすすんできていますが、田畑を再開するためのガレキ撤去や側溝の泥かきなど生活を再建していくためのニーズが多く上がってきます。

画像-0109


写真は津波に浸かってしまった畑を作り直して作ったトマトとゆず。
懸命に育てたものを依頼者のおじいちゃんにいただきました。
トマトは非常に甘くておいしかった。
なかなかハードな業務ですが、そういう様子を知るとなんだかあったかくなりました。


* * * * * * * * * * * *


一緒にボラセンで働いているSくん。

彼は陸前高田出身。
関西の大学を卒業する間際にこの震災が起こりました。
家は高台にあって無事やったけど、お母さんが流されました。

関西での就職が決まっていた彼。
お母さんの供養を終えてバタバタしたあと関西に戻って仕事を始めたそうです。
けど、どうしても身が入らなかったので地元へ。
父は出稼ぎでおらず、弟は大学で他県在住。
広い実家での一人暮らしが始まりました。
地元ですることも特にないので、8月からこのボラセンで活動を始めたとのこと。


基本、ガレキ撤去や草刈りなどを中心に受けているボランティアセンター。
その中で彼はとある被災した子育て支援センターの運動会手伝いの依頼を快く受けてきました。
けれども、ボラセンでは「この案件は受けられないかも」という話になりました。
ボランティアも減っている今、ただでさえ上がってくる要請に応えられていないのに、その子育て支援センターの通常業務の手伝いを受けると他にも手を広げないといけなくなる。
それが理由でした。

結果、この案件は通りましたが、「今後こういう案件があれば、ボラセンで受けるかどうかを検討するから、自分で判断せずに保留にして報告してくれ」と注意を受けました。

個人的にも様々な事情を考えると「この案件は受けられるかどうかグレーゾーンだな」と思っていました。
けれど、彼がその時の話し合いで言ったのは、「受けられない案件だなんて1ミリも思わなかった。」


子育て支援センターの職員も津波で流されて犠牲になり、人手が足りない。
被災した子どもたちがその日だけは戻ってきて開催する行事だし、もし、津波が来なかったら普通に開催できていたはずだから。


それが、彼がそう思った理由。

そんな案件を他にも拾ってきて、ボランティアセンターとしてNGとなったものは、自分で個人的に出向いて対応している。

「なんとかしてあげたい」という彼の優しい気持ちと行動に胸を打たれました。

淡々とした印象を受けるけれども、一緒に現場に行ったときに依頼者との接し方を見ているとその奥にあったかいものを感じる彼。


昨晩、その1人では持て余してしまう彼の実家に泊まらせてもらって、サシで飲みました。
1時過ぎまで一緒に話していて、そこでわかったこと。

彼のお母さんの仕事はホームヘルパー。
地震が収まったあと、海に近い街に住んでいる利用者さんを心配して車を走らせていったところを津波に襲われてしまったとのこと。


「お母さんの優しさを引き継いでいる本当に優しい子で、今みんなの為にめっちゃ頑張ってますよ。」
もし、彼のお母さんに伝えることができるのなら、そう伝えたいです。

槍ヶ岳と最近の私。

帰ったら、沖縄の離島に行ってのんびりしようと思っていました。
のんびりしようと思うのは、忙しい人が考える事ですね。
今の私には「のんびり」は不要です。


来年4月から始動しようと思っていましたが、9か月ブランクは長すぎる。
そして、考えていたプランのひとつは駄目になって、さてどうしよう?
お金との兼ね合いもあって、本気で悩んでいます。

色々な友だちに会いますが、隣の芝は青く見えるんですね。


最近、日本帰国後初のトレッキング・槍ヶ岳(日本で5番目に高い山)へ中学の同級生と。
CIMG3396.jpg
CIMG3408.jpg
CIMG3429.jpg
CIMG3459.jpg
CIMG3501.jpg
CIMG3515.jpg
CIMG3525.jpg
CIMG3537.jpg

正直、ひとつ間違えたら滑落するような険しい山へ。
楽しかったけど、雨の中はきついなぁ。
それも今となってはいい思い出。また行きたいな。


10月1日から2週間の予定で陸前高田へボランティアに行ってきます。
また、状況が許せば報告したいと思います。

2カ月ぶりの日記。

日本に帰国してから2ヵ月半。
とりあえず、病気もせずに元気でいます。
細々とですが、日記も書いていこうと思っとります。

その間に、次に向けての準備をしつつ、北日本旅、西日本・韓国旅など。
主には、大学時代や協力隊時代の友だちに会う為。
h08.jpg
h39.jpg
CIMG3180.jpg
Korea001 (2)
Korea003 (10)

地元や関西の友だちにも会ったが、俺以外はみんな忙しそう。
仕事したり、新しい家族を持ったり…と、そりゃそうか。

福岡で会ったネパール同期と、
「ネパールにいた事がかなり遠い過去のように感じる」
「ネパールでゆっくりするのは普通やったけど、日本にいてゆっくりしているのは罪な気がする」
という話をした。

実際、予定が入っていない日が2~3日あると妙な気分になる。
定年過ぎた父親でさえも働いているからね(笑)

今は充電期間で、本格的始動は来年4月からと決めていた。
けど、周りの状況を見ると、何一つ決まっていない自分に不安にもなる。
日本にいると、何か追い立てられるね。

焦ってもいい結果は出ないので、やりたい事を突き詰めていく感じにはなるけれど。
9月に入って、そんな日々です。

2年ぶりの実家。

宮城で災害ボラとして活動してきました。
仙台の中心部は、震災があったなんてわからない感じでした。
IMGP7894.jpg

5日間滞在した街も市街地は津波被害から免れて、見た目は通常通りでした。
CIMG22621.jpg

しかし、津波に襲われたところは別世界。
活動したのは、こういう津波が押し寄せたところでした。
CIMG23131.jpg

溜まったヘドロの泥かきや流されたアルバムの写真洗浄。
CIMG22671.jpg
CIMG22621 (2)

5日間でできた事は、ほんのちょっとだけ。
やっぱりできた事は少しだけで、自分の無力さは感じてしまう。
けど、そういう積み重ねで少しずつ復興していくのかなと。


海岸に近いところは電気も水道も通っていない。
2階まで浸かってしまったから住める状態じゃない。
誰も住んでいない(住める状態じゃない)地区もありました。

田んぼにも畑にも塩を含んだ泥が溜まっているから、何も植えていない。
キャベツを植えている家もありましたが、生育は悪かったです。

被災した人たちは、仮設住宅やアパートを借りて住みながら、昼間は復興作業。
まだまだ時間が必要そうでした。

CIMG2270-1.jpg


「がんばろう!」「がんばろう!」と言われても、頑張れない時もあると思います。
それでもいいので、ゆっくりでもいいから前に進んで欲しいと願っています。


その街に住む大学時代の後輩もきつい経験をしたみたいですが、
とにかく顔が見れて良かった。
相変わらずの調子で安心した。

まだ一息つける状態じゃないと思うけど、無理はせずに踏ん張ってほしいと思います。

**************************

日曜日の朝、夜行バスで2年ぶりに関西・神戸へ帰ってきました。

大学時代に京都-仙台の夜行バスをよく利用していた後輩からは、
「夜行バスはきついって!」
と聞いていましたが、


窓は全部あるし、
空調は効いているし、
ヒンディー音楽とか鳴ってないし、
シート倒れるし、
足も伸ばせるし、
ゴミを散らかす人いないし、
道はガタガタじゃないし、

CIMG2344-1.jpg
CIMG2343-1.jpg

SDC13394.jpg
CIMG05371.jpg



ぐっすり熟睡。
めっちゃ快適でした。

ネパールと比べちゃあかんかな??



帰国13日目の月曜日、抜いていた住民票を戻しました。
よって、住所不定無職から、住所のある無職にレベルアップ!

よっしゃ!次に向けて進み出すか!!
プロフィール

ハッピー太郎。

Author:ハッピー太郎。
1982年生まれの27歳。京都の大学を卒業後、淡路島での3年間教員生活を経て、ネパールへ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
未分類 (51)
ネパールの現状 (3)
プライベート (21)
??? (0)
お仕事 (13)
ネパール隊員派遣40周年 (3)
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。